目次

1日目。羽田からバンコク、タマサート大学ランシット校へ。

2日目。チェンライで道に迷う。

3日目。トレッキングに出発。

3日目。山中で疲労困憊する。

3日目。ラフ人の村からサイモンさんの家へ。

4日目。村の儀式

4日目。サイモンさんの家からアカの村へ。

5日目。トレッキング最後の日

6日目。チェンライの一日

7日目。チェンライからチェンコーンへ。

8日目。往復216円の海外旅行。(海外ではないけど)

9日目。さよなら、チェンコーン。

10日目。バンコクまでお使い。

11日目。サファリワールド、バンコク

12日目。バンコクから27円で行けるタイ湾。

13日目。日記の終わり

2012年06月08日

4日目。サイモンさんの家からアカの村へ。

サイモンさんの家に戻ってシャワーを浴びてから、昼過ぎ、トレッキングに出発した。しばらくはコンクリートの道を歩いた。歩きやすかったが、日差しが強く、コンクリにはコンクリのつらさがあると感じた。やがてまた、森に入った。あとは昨日と同じなのでくり返さない。昨日より短い距離で障碍物も少なかったけれど、昨日と同じようにへばった。


また、コンクリートの道に出て、あとはひたすら歩いた。途中の村の店で休息し、私はコーラを飲んだ。その後、また歩いた。歩いて歩いてひたすら歩いた。


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(道は人を郷愁にさそう。しかし、歩く人にとっては、ただ暑く疲れる道だ。)


そして着いたのはアカ人の村で、見晴らしのよい家に泊まることになった。私とサイモンさんは広縁に坐ってビールを飲み、あれこれ話した。なんとなく客とガイドではなく、友人同士のような感じになった。連絡先も交換した。


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(遠くに見える道をあるいて、私たちはこの村にやってきた。)


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(この家に泊まった)


サイモンさんは、欧米人があまり好きでないといった。彼らは文化を理解しようとしない。米のご飯も食べたがらない、という。私は辛いものでもカエルでも何でも食べたのが良かったのかも知れない。


食事をするために別の家に上がった。イタリア人のアントニオとそのガイド(名前をききそびれた)、それから他に何人かいた。アントニオはいわゆるバックパッカーでアフリカを旅していたという。乾杯したとき、アントニオがチンチンといったので、日本語を知っている人たちが、股間で指を突き立てて大笑いした。若い女の人もいたのに、私も下品なことをあれこれ言い、下らない話で盛り上がった。


食後は場所をかえて、東屋のようなところで、飲んであれこれ話した。暗い中そこだけ明かりが灯っていたので、虫がよってきた。ヤモリやトッケーがどこかで鳴いていた。サイモンさんがトゥッケートゥッケーと鳴きまねすると、アントニオは、イタリア語ではジェッコーだと言った。日本語であれは何かと聞かれたので、トッケーだといった。それに対して、サイモンさんは、あれは日本語ではヤモリだ、といった。しかし、ヤモリは小さいし鳴かない。だが、サイモンさんは、日本語ではヤモリだとくり返した。そういわれると、ヤモリという言葉はトッケーを含むのかもしれないと思った。英語ではゲッコーだし、ゲッコーという名前でペットショップにいたような気もしてきた。


あたりでは、蛍が一つふたつ飛んでいた。サイモンさんは私に、「オバケを信じるのか?」 ときいた。私は信じないと答えた。サイモンさんは意外そうな顔をした。オバケはタイ語ではピーだろうと言うと、ゴーストとスピリットは違うのかという話がはじまった。私はなんとなくサイモンさんは仏教徒なのだと思っていた。しかしそうではなく、カレンの伝統的な宗教を信じているという。「蛍は死んだ人の魂だ」と私はいった。「カレン人は蛍が家に入るのを喜ばない」とサイモンさんは言っていた。


そのうちサイモンさんとアントニオがギリシアの財政問題について熱心に語りだしたため、何を言っているか分からず、私は帰って寝た。
posted by yanagisawa at 13:05| Comment(0) | 日記

2012年06月07日

4日目。村の儀式

私が寝たのは、サイモンさんの娘の部屋のようだった。何となく悪い気がした。


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朝食におかゆを食べた。いろいろ入っていて、見た目よりおいしい。


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食べ終わって、サイモンさんのバイクに乗り、田んぼを見にいった。ちょうど種もみを播き終えたところだった。苗を植えるのではないようだ。サイモンさんが案山子を作るところを見せてくれた。この人は、山刀で何でも作ってしまう。


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その後、親族が集まって儀式をするところに連れて行ってくれた。鶏を二羽殺して、それを茹で、一部を供え物にし、残りを自分たちで食べる。蒸留酒のような酒ものんだ。


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帰りに、ラフの人たちの儀式にも立ち寄った。豚が殺されていて、焚き火をしていた。


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ついでに、幼稚園にもいった。タイ文字や、ABCの練習をしていた。

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posted by yanagisawa at 17:54| Comment(0) | 日記

3日目。ラフ人の村からサイモンさんの家へ。

茂みの中の坂をのぼりきると、森が終わった。草地になっていて、たしかに頂上だった。荷物を降ろして、水を飲んだ。雨は収まって、晴れていた。私はやっと気分が楽になり、サイモンさんと少し話をした。


私が40歳だと言うと、サイモンさんは驚いていた。27、8歳だと思っていたという。この後、彼は何度もいろいろな人たちに、私が何歳かとクイズを出していた。村の人たちから見ると私は若く見えたようだ。腰の曲がった老人は私のことを15歳だろうと言った。ここでは、色白で軟弱なまま歳をとることは出来ないのだ、と思った。それから、タイ文字表のTシャツを着ていたのもあるかもしれない。あいうえおのTシャツを着れば、だれだって少し幼稚にみえる。


サイモンさんは48歳だった。19歳のとき18歳のラフの娘と結婚し、いまは2歳半の孫がいる。


頂上の草地からは、ラフ人の村までの下りの道があった。たとえ土の細い道でも、道があるだけでどれだけ歩きやすいことか。また雨が降りはじめたので、私たちは速足で道を下った。


村に着いたのは14時くらいだった。一軒の家の広縁(高床式の家にだいたいある、一部屋ちかい広さの、床と柱と屋根からなる部分。なんと呼ぶのか知らないので、広縁ということにする)に荷を降ろし、坐った。Tシャツを着替えると乾いた感触が気持ちよかった。雨がだんだん強くなっていった。広縁の上に犬が二匹寝ていた。私もその傍らで横になった。雨はザアザアと激しく降り、雷が鳴っていた。もっと強く降ればいい、と私は思った。いま屋根の下にいる事が、途方もない幸運に思えた。今日はもう歩かなくていいと考えるだけで、心が晴ればれとした。そうやって寝ころんでいるうちに、雨は上がった。


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驚いたのは携帯電話がつかえたことである。バンコクに電話してみると、つながった。村からは車の通れる道が外につながっていて、一台の小型トラックが人を乗せて出て行った。村にはバイクもあった。私たちは、村の裏山を越えて、ここへ来たようだった。


雨が上がってしばらくすると、サイモンさんが「イキマショカ」といった。ここに泊まらないのか! また歩くのか! 私は驚いた。しぶしぶとサイモンさんについて出発した。今度は畑のあぜ道のような道で、下りが多く、さっきよりは楽だった。しかし、小川を渡るとき、置かれた飛び石を踏み外して水没し、靴の中が水浸しになり、グチャグチャと気持ちの悪い音を立てながら歩かなければならなかった。一時間くらい歩いただろうか? コンクリートの道に出た。それがサイモンさんの家につづく道だった。私はサイモンさんの家に泊めてもらうことになっていたのだ。スーツケースも車で運ばれてきていた。


こんなことなら、余分な着替えや、重たい懐中電灯などはスーツケースに入れといたのに、と恨めしく思った。と同時に、シャワーを浴び、ベッドで眠れると思うと、とても嬉しかった。


一休みしてから、サイモンさんとビールを飲んだ。カエルを焼いたものを出されたので、ありがたくいただいた。いままで食べたどのカエルより、カエルらしい姿をしていた。


005003.jpg 005004.jpg (カエルをねだるネコ)


そのうちに夕食になった。朝、市場で買った魚、豚、野菜が出て、豪勢だった。奥さんも一緒に食べるのかと思ったら、私とサイモンさんの二人だけだった。


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夜、すぐ近くの田んぼに蛍を見にいった。蛍を見たのはこれが初めてだった。サイモンさんは、「ホタル」は英語で何というのかと私にきいた。たぶん、欧米人は蛍に関心がなく、サイモンさんが蛍について話すのは、日本人相手だけなのだ。私は、なぜ fireflies という言葉を知っていたのだろうか。


夜は蚊帳の中で寝た。深夜、目を覚ますと耳元でトッケー(ゲッコー、鳴くトカゲ)が鳴いていた。トッケーを聞いたのもはじめてだった。トッケーが蚊帳の中に入ってきたのだろうか? と考えているうちに、また眠ってしまった。
posted by yanagisawa at 16:22| Comment(0) | 日記