目次

1日目。羽田からバンコク、タマサート大学ランシット校へ。

2日目。チェンライで道に迷う。

3日目。トレッキングに出発。

3日目。山中で疲労困憊する。

3日目。ラフ人の村からサイモンさんの家へ。

4日目。村の儀式

4日目。サイモンさんの家からアカの村へ。

5日目。トレッキング最後の日

6日目。チェンライの一日

7日目。チェンライからチェンコーンへ。

8日目。往復216円の海外旅行。(海外ではないけど)

9日目。さよなら、チェンコーン。

10日目。バンコクまでお使い。

11日目。サファリワールド、バンコク

12日目。バンコクから27円で行けるタイ湾。

13日目。日記の終わり

2012年06月07日

3日目。山中で疲労困憊する。

老人の家をでて20分くらいして、草むらの中の道に入り、沢沿いに、山を登りはじめた。森の中の道はだんだんと険しくなり、倒木でふさがれていたり、沢を渡れずに迂回したりした。最初は面白かったが、すぐに苦しくなった。リュックサックには二泊三日間に必要なものが入っていたが、これが肩に食い込んだ。


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サイモンさんが山刀で道を開きながら進んだ。私は息が荒くなり、立ち止まってハアハアとしながら、あとを追った。大量の汗で、シャツもタオルもぐっしょりとした。斜面を登ったところで、「動けない。」と音を上げた。サイモンさんは、「すぐそこで休憩だ。」と下の沢を指差した。


沢に下りて石に腰かけ、泥のついた手と、汗まみれの顔を洗った。サイモンさんが弁当を渡してくれた。スープとカオマンガイ(鶏肉ご飯)。スープをすぐに飲んだ。濃いスープがうまかった。カオマンガイには赤いソースがついていた。サイモンさんは、「辛いからあまりかけるな」といったが、自分では全部かけていた。私も全部かけた。


弁当はおいしかったが、ご飯が多すぎて食べ切れなかった。私が残すと、サイモンさんはそれを沢に投げ入れた。メダカくらいの魚がご飯粒に集まってきた。そのうちにカニが現われて、ご飯粒を食べはじめた。私とサイモンさんは魚とカニをおどかさないように、静かに見ていた。沢を吹き抜ける風が気持ちよく、水の流れる音に耳をすました。


13時ころ、サイモンさんにうながされて出発すると、すぐに気分が重くなった。休息して回復するような体力は、はじめから無いのだと思った。少し歩くと息が荒くなり、何度も立ち止まった。サイモンさんは見かねて、難しい場所では荷物をもってくれた。私はなぜポーター(荷物を運ぶ人)を頼まなかったのだろうと考えた。たしか、安価で雇えたはずだ。以前参加したトレッキングでは、荷物はすべてポーターがもってくれた。それでも、疲れきったのを憶えている。


荷物をサイモンさんに渡したときは、一瞬、非常に楽になった気がしたが、それは一瞬で終わった。疲れたから体が動かないのではなく、単に、体が動かなかった。体が動かないので、ああ自分はとても疲れているのだな、と理解した。少し歩いては立ち止まって、うつむいて竹の杖で体を支えながら、ハアハアと息をし、水を飲んだ。また歩き始めると、すぐに息が荒くなった。


サイモンさんが上方にある滝を指して、あそこまで行ったら休もう、と言ったとき、あんな高いところに行くのかとうんざりした。滝についたのは、沢を出てから30分くらいだった。手と顔を洗っても心は晴れなかった。また歩くのかと考えただけでうんざりした。なぜこんな所を歩かなければならないのか? 道が何箇所も塞がれて迂回しながらすすむ様子からすると、村の人たちが日常的につかっている道ではなかった。トレッキング・コースとしても、ふだんは使われていないのではないか? 今回の参加者が男一人だけなので、久しぶりに難しいコースにしたのではないか? などと恨みがましい気持ちで考えた。


滝を出発しようというサイモンさんの言葉が嫌でならなかった。私は何も話す気にならず、自分でも無表情になっているのが分かった。表情をつくる筋肉を動かすエネルギーも残ってないのだ、と思った。サイモンさんは、大きなイノシシの通った痕跡を見つけ、解説してくれた。私は何もきいていなかった。何を考えるのも面倒で、サイモンさんの言葉を理解するのも面倒でならなかった。もう私を置いて、とっとと先にいって欲しかった。このままここにうずくまるか、いっそ谷に落ちてしまえば、歩かなくて済むと思った。


そのうちに雨がふってきた。私たちはそのまま歩きつづけた。汗でぐっしょりとなったシャツとタオルがさらに濡れ、顔を流れていくのが、汗なのか雨なのか涙なのか鼻水なのかも分からず、それを重く濡れたタオルで拭うと自分が何をしているのか分からなくなった。


私はいつ「もう歩けない。」と宣言しようかと、そればかり考えていた。この先どれだけ歩くのか知らないが、どこかで倒れるのは明白だった。だとしたら無駄にがんばるより、トレッキングを中止してでも歩くのは止めた方が良い。私はあと何歩歩けるのか? と考えながら、休止を要求した。


サイモンさんは、すぐそこが頂上だから、そこで休もう、あとは下りだから楽だ、と言った。私はその言葉を信用していなかった。疑ってもいなかった。何も考えたくなかった。嬉しくも、悲しくもなかった。無感情のまま、低木の茂みの坂を登った。
posted by yanagisawa at 13:43| Comment(0) | 日記

2012年06月06日

3日目。トレッキングに出発。

9時半少し前にゲストハウスをチェックアウトすると、トレッキング(山歩き)ガイドのサイモンさんが、玄関で待っていた。2泊3日のトレッキングツアーに出発。


彼の車に乗って、まず、チェンライ中心部の市場に言った。魚屋に行くと、生けすの中に鯛くらいの魚が泳いでいた。店の人は、魚を棒で叩いて気絶させ、腹を捌いて内臓を外して渡してくれた。次ぎに、豚肉を買った。常温のまま外に並べられていて、生臭い店だった。それから多量の野菜、油一本、干しえび、昼のお弁当を買って、山に向かった。


10時30分ころ、サイモンさんは山の中の道端に私を下ろした。5分くらい待つように言って、スーツケースは車に乗せ、どこかへ行ってしまった。私は、まずツアー会社のオフィスに行って、スーツケースを預けてから山に行くのだと思っていたので、けげんな気持ちだった。彼は自分の娘をバイクに乗せてもどって来た。私たちはそこから伸びる山道に入り、娘はバイクにのって帰って行った。


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山道をしばらく登ると養豚場があり、そこを通り抜けて川を越え、藪の中をすこし歩くと、また車道に出た。道なりに歩いていくと両側に村があり、カレン人の村だという。サイモンさんもカレン人で、この村にいた事がある。私には、この村は山岳民族というより、たんに辺鄙な田舎の村のように思えた。庭先には学校の制服が干してあったので、意外に思った。制服のある近代的な教育とこの村がどうにも結びつかない気がした。しかしこの先、さまざまな村で、学校制度がととのっているのを見ることになった。山岳民族の人々は、タイ語を苦もなく使いこなしていた。


それから、この村には鶏がたくさんいた。それぞれに飼い主がいるのだろうけれど、あちこちを自由に歩き回っていた。ヒヨコも連れていた。この村以外でも、訪れた村ではどこも放し飼いの鶏がいた。


サイモンさんはこの村には知り合いが多く、会う人ごとに立ち話をした。私も、ニホンジンデスなどと下手なタイ語を使ってみた。村を抜けて、11時30分ころ道端の家先で休憩した。その家の老人に、戸の前の椅子に坐るよう言われて、腰掛けた。庭には腰の高さくらいの広い台があり、よく見るとその下は鳥小屋だった。あたりは生ゴミが散乱していて、異臭がした。我慢して坐っていると、ハエのような虫が次々と来て、私を刺した。耐えきれずに道に近い方に逃げると、老人はそこに椅子をもって来てくれた。サイモンさんと老人が話しているあいだ、私はあたりを眺めていた。なぜ私だけが虫に刺されるのだろう?


陸軍のトラックが道を走っていった。兵士たちが私に向かって「ハロー」と手を振った。私も手を振り返した。どこか遠くのほうから、奇妙な叫び声が聞こえてきた。サイモンさんは、鳥だといった。


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私とサイモンさんは英語で話した。サイモンさんは日本語も知っていた。文法は知らないようだったが、ガイドに必要な言葉は豊富だった。私はタイ語をほんの少しだけ知っていた。日陰のない道を二人で歩きながら、サイモンさんは「アツイネー」と叫び、私は「ローン・マーク・ナ」と言い返した。
posted by yanagisawa at 21:41| Comment(0) | 日記

2日目。チェンライで道に迷う。

比較的よく眠れた。昼食に、近所の人からもらったカエル料理をたべた。携帯電話のチャージ券をコンビニで買った。タイ語が通じてうれしい。


昼過ぎにドンムアン空港に送ってもらった。ここから飛行機でチェンライへ。チェンライまでのチケットは、タイ国際航空だと3000バーツ(8100円)くらいだったので、割安のノック・エアにした。1500バーツ(4050円)くらい。


チェンライ空港から市内までのタクシーをシェアしようと、搭乗ロビーで、英語か日本語のできそうな人を探すが、見当たらない。なぜか軍人の乗客が多かった。


乗務員のうち一人が、とても美人で、私の席の近くで案内をしていた。「この席でいいですか?」と英語できくと、「カー」とタイ語で可愛らしく答えた。離陸後、非常口近くだったので、その乗務員が口頭で注意事項をアナウンスをした。タイ語で言い終ると、私の前にしゃがんで、私だけに向かって英語で同じ内容を話した。何をいっているかさっぱり分からなかったが、私はニコニコしてそれをきいていた。


1時間くらいのフライトで、チェンライ空港に着いた。タクシーカウンターで、チェンライ中心部までのタクシーを頼み、200バーツ(540円)を払った。運転手があらわれ、後についていくと、さびれた駐車場に入り、「これだ」と車を指した。ただの自家用車だった。


タクシーがチェンライ市内に入るころには、雨が降り始めていた。バスステーション近くでタクシーを降り、ガイドブックにあるゲストハウス(安いホテル)に向かった。しかし、南と東を取り違えていたために、完全に道に迷った。ガイドブックの地図が不正確であると呪いながらさまよったが、問題は自分にあった。じつはコンパスをもっていたのだが、自分が間違っているとは思わなかったので、使おうとは思わなかった。雨の中を重いスーツケースを引きながらうろうろするのは悲惨だった。思えば、はじめからタクシーでゲストハウスに直行すればよかったのだ。少し歩いて町の様子を見たいなどと愚かなことを考えるから……せっかくタクシーカウンターがあったのに……もうどこでも良いから、どこかに泊まりたい、と考えながら、濡れ歩いた。


そこに大型の乗用車が止まり、中から声をかけられた。流暢な英語を話す、中年の白人男性だった。雨がひどいから乗れ、という。どこに行くのか? ときかれたので、ゲストハウスを探している、どこか良いところを知らないか、と答え、少し話しているあいだに、近くのゲストハウスの前で停めてくれた。「ありがとう」といって降りると、「いや自分はここで待っているから、交渉してみろ」と言って、待っていてくれた。私が満足する宿を見つけるまで、付き合ってくれるつもりだったのだろう。私が日本人であるというと、「コンニチハ」といい、またタイ語も少し知っていた。日本について話をしたかったようだが、私は無愛想な返答しかできなかった。一つは、私の英語が貧弱なため。もう一つは、状況的、心理的に余裕がなかったことによる。ゆっくりと話をしてみたかったし、感謝の言葉もあわただしくなってしまったのは残念だった。


降ろしてもらった宿では、3人用の部屋しかない、900バーツ(2430円)だ、といわれた。予算オーバーなので、ちょっと困った顔をすると、ぬれた姿をあわれに思ったのか、一人で泊まるなら800バーツ(2160円)でいい、となった。OKした。部屋はシンプルで広く、気に入った。


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シャワーを浴びて着替えると雨がやんでいた。宿で地図をもらい、外出した。こんどは自分がどこを歩いているのかはっきりと理解できるので、さっきと同じ道を歩いても、気分がまったく違った。


食事をすることにした。タイ人向けの良さそうな食堂がいくつもあったが、入る気力がなかった。英語の通じる、外人向けのレストランに入った。ビール65バーツ(176円)、カオソイ200バーツ(麺類540円)、アイスクリーム・ケーキ125バーツ(336円)、コーヒー50バーツ(135円)、合計440バーツ(1188円)だった。高い割においしくなかったが、私は満足だった。


メニューを見ながら待ってもらったり、食事の途中でメニューをもってきてもらったり、品切れといわれて店員に他のメニューをきいたり、店員がスプーンを忘れたのを指摘したり、といったやり取りがストレスなく笑って出来たのは、英語が通じたおかげだ。


今回の旅行ではなるべくタイ語を使うつもりだったが、けっきょく、英語にたよった一日になってしまった。
posted by yanagisawa at 18:15| Comment(0) | 日記